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池島炭鉱旅行記その1~九州最後の炭鉱を訪ねる~


2014年7月19日、梅雨明けを歓迎するようなセミの大合唱の中、私は長崎県の池島に上陸した。
池島は博多から車で二時間半の距離にある。博多でB-DASH CAMPに参加して社長業をやった後、土日を利用して長崎の炭鉱めぐりをしようじゃないか、と思ったわけだ。
よく、廃墟が好きなの?と人に言われる。それはちょっと違って、私はどうしようもなく炭鉱に惹かれてしまうのだ。
石炭、それはかつての石炭から石油のエネルギー転換が起こる前は、産業の下支えをする重要なエネルギー源であった。「黒いダイヤ」とも言われていたそうだ。かつての炭鉱夫の給料は、サラリーマンの二倍程度であったという。炭鉱をあえて今めぐることは、産業が起こり、そして繁栄し、衰退していった、その残照(日が沈んでからも雲などに照り映えて残っている光)を見る行為だと思う。それこそ、日本中石炭があるところ、島の地形を変えてしまうくらい、資本とエネルギーを使って掘りまくっていた。このエネルギーの残照を訪ねて行くと、かつての膨大な人間の情熱だとか、それにかけた思いが伝わってくる。だから、私は廃墟ではなく炭鉱に惹かれてしまう。
炭鉱に魅力を感じるのは、五木寛之の「青春の門 筑豊編」に現れてくるような、荒々しい男たちの躍動に感動したり、私が北海道出身で、幼いころには、閉山後にリゾート経営に失敗してしまった「過疎の街」の話をニュースで聞いていたことも、影響しているのかもしれない。
図らずも、我々は今インターネット革命の勃興期から絶頂期に向かっている最中だ。私はその革命の中で幸運なことに会社を起こせており、この革命期において、何らかのインパクトを残そうと考えている。炭鉱を巡るという行為は、そんな産業革命のかつての情熱とエネルギーを感じ、咀嚼することで自分のエネルギーにしているところもあるのだろう。なぜか、炭鉱に行ったあとは、変革を起こす気分になる。私だけか。
池島に話を移そう。池島は九州最後の炭鉱があった場所で、1959年出炭、2001年閉山とかなり炭鉱としては最近まで操業していた島だ。周囲約4キロメートル。この小さな島に、かつては7500名以上の住民がいた。閉山して13年、現在の住民は約200名に激減している。
池島炭鉱全景。手前は発電施設で、コンクリートの岸壁は石炭の積み出し用(下に港がある)その上のタンクのようになっているのは、選炭場で、ヤマの上には立坑関連施設群がある。
2001年に閉山したということもあるが、ここまで炭鉱施設が完全な形で残っている場所は、もう日本にはほとんど残っていない。日本の石炭産業が絶頂期を迎えたのは1960年台で、1970年台には石油へのエネルギー転換により、衰退期を迎えていた。私が住んでいた北海道の大規模な炭鉱は、既に閉山から30-40年が経過しようとしている。いくら耐久性があるコンクリートとはいえ、人間の補修が入らないと、崩れていく。昨年北海道の空知炭田を回った際には、ほとんどの建物が崩壊寸前となっていた。池島は、まだここまで残っている。閉山後13年。あと20年もすれば、北海道の炭鉱と同様、ここも無くなってしまうかもしれない。今しか見ることのできない景色、なんだろう。
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これだけ大規模な炭鉱なので当然住居も必要となってくる。7500人以上の人が住んでいた炭鉱アパート群は、30棟以上はあるだろうか。ほぼ完全な形の「街」が、今は住む人も無いまま、ここには残されている。歩いているのは私だけだ。周りにはセミの無く音と、私の足音しかしない。閉山して13年、窓は割れ、植物に飲み込まれようとしている。
池島には現在は宿泊施設はひとつしか存在しない。宿泊施設といっても、民宿ではなく公民館に泊まる、といった感じが正しいだろう。宿屋の親父は、「私がころりといったらもうここも終わりやけん」と、ぽつりと、でも明るくつぶやいた。今日宿泊するのは私を含めて6名。
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これは池島で最も巨大なマンションで、8階建て。狭い島内で最大限の人数を収容するために、高層マンションとしたそうだ。エレベーターは無く、真ん中の4階部分が渡り廊下になっており、建物間は自由に往来が可能だ。裏側は坂になっており、そこから4階に直接入れる。こんな建築は他の場所では見たことが無い。軍艦島にも似たような渡り廊下が存在するけど、やはり、わけのわからないくらいの資本投下、情熱が発生すると、このようないびつではあるが、情熱の結晶のような建築ができあがるのだろうか。
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この写真は、先ほどの8階建てのマンションと、それを取り囲むマンション群を、池島に残る神社の裏山に登って撮影した。これで池島のマンション群の1/3程度を写したに過ぎない。左に見えているのは小中学校の体育館で、かつて1000名ほどいた児童は、今は6名になっているそうだ。
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8階建のマンションの前の道を抜けると、そこには夕日が広がっていた。「あの坂を登れば海が見える」を読んだのは小学校の時の国語の授業だっけ。かつて炭鉱が栄えていた時は、池島に住んでいた家族も、この美しい夕日を眺めて一家団欒の時間を過ごしていたんだろうな。
次回の旅行記では、朝のマンション群と、池島の飲み屋街、鉱山内トンネルの潜入ツアー参加レポートをしようと思います。
 


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