僕とWIRED
新しい「WIRED」が手元に届いた!なんだか肌触りが気持ちいい。そして、感動した。
今日はちょっと僕とWIREDについて書こうと思う。
WIRED (ワイアード) VOL.1 (GQ JAPAN2011年7月号増刊)
WIREDは僕にとってとっても大事な雑誌だ。今でも実家に何十冊かおいてある。
昔のWIREDは、1994年11月号~1998年11月号まで発刊されていた。僕が大学に入学したのは1995年、就職活動したのが1998年なのでドンピシャでかぶっていた。
初めて手にとったのは95年ころ、ちょうどインターネットが大学生を中心にはやりはじめた頃だと思う。千葉大学のコンピュータ教育というのは、今考えると結構変というか革新的だった。僕は文学部で日本文学を専攻する学科だったのだけれども、全員にUNIXのXWINDOWでホームページをつくらせるという授業があった。でも面白くて、毎日のように計算機センターにもぐりこんでいたな。そのころモザイクからネットスケープへの移行があって、背景に画像が埋め込めるようになったりJAVAアプレットが動くのに感動したもんだ。
そこでインターネットに出会ってしまってハートわしづかみにされたのが今Fringe81をやっている大きな要因ではあるんだけど。
もうひとつ大きな要因がWIREDだったと思う。当時「デジタル」に関する思想や考察、最新の事例を知るのは日本語のソースではWIREDしかなかった。そして、アメリカの匂いがしたんだ。あのアメリカンなデザイン、そしてかっこいい写真。神田の古本屋街まで行って、創刊号からできるだけそろえたのを思い出す。背表紙に四角いドットがついているんだけど、それを一列に本棚に並べてそろえて、ふふん♪と思ったものだ。
今思うと、インターネットやデジタルは、非常に楽天的なムーブメントだったようにも思う。何か、新しい時代が開けるんじゃないか。という。
俺もこんな本を作ってみたいなあ、かっこいいなぁ、と思って、平家物語の専攻をしながら当時高田馬場にあったDTP(デスクトップパブリッシング)の専門学校に通いだした。なぜ高田馬場かというと、千葉からは東西線で一本でいけたから。でも遠かったけど。
そんなファンキーでデジタルで、でも文学青年な大学生だった僕に、衝撃的な出来事がWIREDに載った。具体的に何年の号か忘れてしまったんだけど、WIREDに、(たしか蛍光グリーンの表紙だったか)
ソフトバンクの孫さんがインタビューで出ていた。十何年もたっているので内容は定かではないんだけれども、(実家帰らないと)そこには孫正義のインターネットにかける熱い思いが載っていたんだよね。
一人暮らししていたアパートのトイレで見たんだけど(当時読書はトイレがデフォルトだった)、ビビッと衝撃が走った。これだー!!と思った。今まで憧れでしかなかった、しかも使うユーザーの立場でしかなかったインターネットの世界で商売している、しかもヤフーに投資している日本人がいたのか、と。周りの日本文学やっているやつらに興奮してしゃべっても誰も見向きもしてくれなかったけど。
そこから、僕の就職活動の目標が決まった。この人の会社に入るんだと。当時覚えたいことは必ずトイレに貼っていたので、座った時の真正面にWIREDの記事を貼った。
ソフトバンクの面接でもWIREDの記事感動しました、とか、ウェブサイト作ってきました、とか熱くなって話した。今となっては赤面ものだ。
ソフトバンクの内定もらったときはうれしかったなぁ。新卒半年でやめちゃったけど。ごめんなさい。
少し時は流れて、社会人3年目くらいにウェブ版のHOTWIREDのオンライン・パネルディスカッションのパネラーの一人になっていた。連載もさせていただくことにもなった。顔写真送ったら紫色に加工されて、WIREDっぽいなぁと思いながらも、わかってない同僚に「顔色が悪すぎる」なんていわれたっけ。その時も、なんだかWIREDにからめるようになってうれしかった。あこがれが現実になったような。WIREDの雑誌は休刊になったけど、ウェブではデジタルほとばしっていた。
それから10年くらいの月日が流れた。あの時トイレで衝撃を受けた大学生は、何をどうしたのか、小さな、でもとんがっている(と思われる)ネットの会社の社長になってしまった。
WIREDは僕の運命を変えた雑誌だ。
だから、コンデナスト・ジャパンから復刊するということを聞いて、すごくうれしかった。しかも田端さんや松浦さんなど、知っている人が今度は新創刊する。
本って個人に影響をすごく与えるものだと思う。僕はWIREDだったけど、人ひとりづつ、こういう物語があるもんなんだろうな。
WIREDの成功を祈念しまして、今日はブログを書きました。毎号買います。